農業の枠を超え、人類に貢献
新農薬「テネベナール™」研究開発ストーリー

チョウ目害虫は薬剤抵抗性が高い種が多く、農家にとっては農作物を荒らす天敵です。
三井化学アグロは殺虫剤に抵抗性を持つチョウ目害虫の駆除を目指し、新規殺虫剤の開発に挑戦しました。研究者の多大な努力の末に開発に成功したのが、全く新しい作用性を持つ殺虫剤「テネベナール」です。
この記事では、「テネベナール」の研究開発秘話と特長について紹介します。

全く新しい農薬「テネベナール」研究開発の背景

テネベナールはチョウ目をはじめとする薬剤抵抗性を発達させた害虫にも効く、全く新しい作用性を持つ殺虫剤です。
テネベナールはなぜ開発されたのでしょうか。また、その新しい作用性とはどのようなものなのでしょうか。
研究開発の背景を紹介します。

農薬に抵抗性を示す害虫の猛威

農薬に抵抗性を示す「抵抗性害虫」により、多くの生産者が苦しめられています。

数ある抵抗性害虫の中でも、生産者を悩ませているのがチョウ目害虫です。農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 )の資料によると、抵抗性害虫の上位3種はコナガ、オオタバコガ、ハスモンヨトウで、いずれもチョウ目です。チョウ目は薬剤抵抗性の報告件数が最も多く、全報告件数の27%を占めます。

【出典】「薬剤抵抗性農業害虫管理のためのガイドライン案(2019年3月)/農研機構」より

たとえばコナガは全世界で40億~50億ドルの被害をもたらしていると考えられており、日本でもチョウ目害虫による被害は甚大です。

【出典】Frontiers | First Field Release of a Genetically Engineered, Self-Limiting Agricultural Pest Insect: Evaluating Its Potential for Future Crop Protection | Bioengineering and Biotechnology

チョウ目をはじめとする、ある種の農薬に抵抗性を示す害虫を駆除するためには、その農薬とは異なる殺虫作用を持つ、新たな薬の開発が必要です。生産者の大切な農作物を食い荒らす害虫に有効な農薬を開発し、農産物を守るのは当社の使命ともいえます。

全く新しい作用性を持つ農薬「テネベナール」

「テネベナール」の作用とは

テネベナールはGABA受容体(※1)に作用する神経系阻害剤(※2)で、昆虫が生命活動を維持するために必要な神経信号を遮断して、全身の麻痺をもたらし、死に至らしめます。

GABA受容体に作用する神経系阻害剤はこれまでもフェニルピラゾール系殺虫剤が発見されていましたが、テネベナールはこれまでの殺虫剤とは異なる部位に作用します。そのため、これまでの殺虫剤に抵抗性を示す害虫にも有効なのです。

この新しい作用は、害虫の殺虫剤抵抗性の発達を防ぐための啓発活動を行っている世界的な組織「IRAC(Insecticide Resistance Action Committee: 殺虫剤抵抗性対策委員会)」にも認められ、テネベナールを分類するために、IRACの作用機構分類として新しく「group 30(※3)」が新設されました。

つまり、テネベナールの作用性は、世界的にも全く新しいものであったのです。

「テネベナール」研究開発秘話

この数字が何かわかりますか?
新しい農薬の創製に一般的に必要とされる時間と金額です。

農薬の研究開発から販売までには莫大な時間とお金が必要となります。新薬とは、研究者たちの努力の結晶なのです。そしてテネベナールも同様に、研究者の長期にわたる努力と挑戦によって開発されました。

7,000以上の化合物から有効成分を発見

生産者を悩ませるチョウ目の駆除を主眼におき、プロジェクトはスタートしました。世界最高レベルのチョウ目活性を目指したため、テネベナールの研究開発は、苦難の連続でした。

新しい農薬を開発するには、新薬のベースとなる「リード化合物(※4)」を選定し、合成展開により変換して、農薬としての性能を高めていきます。

当時、一般的な殺虫剤にはあまり見られない骨格を持ち、幅広いチョウ目害虫に対し非常に高い活性を示していた他社特許の化合物に注目し、リード化合物として選定しました。

「このリード化合物をベースに合成展開していけば、チョウ目害虫に有効で、新たな特徴を持つ殺虫剤が開発できるはず」。このような信念のもと、研究開発が始まりました。

当社では、これまでもエトフェンプロックス、ジノテフランといった殺虫剤を開発してきましたが、これらもあるリード化合物を変換して創出されたものです。その変換手法は、当時業界で活性に必須と考えられていた構造を大きく変換することを特徴としており、これまでの常識を打ち破る新たな特長を持つ殺虫剤の創出に成功し、結果として生産者の皆さんに長い間ご愛用いただいている製品となっています。

今回のテネベナールのケースでも、リード化合物に必須と思われる構造を大きく変換することを念頭に置いて合成展開を行いましたが、研究当初はなかなか思うような結果が出ませんでした。大きく変換したほとんどの化合物の殺虫活性が、消失してしまったのです。

そのような状況でも、粘り強く研究を重ねていくと、リード化合物の1/1000程度の殺虫活性が残る化合物群があることがわかりました。そこでこの化合物群の検討を継続し、さまざまな変換にチャレンジしていきました。すると、ある置換基(※5)を導入した化合物群において、チョウ目害虫に飛躍的に活性が向上することを発見したのです!

一方、この化合物を与えた害虫の効果の現れ方が、これまでのリード化合物とは全く異なることに薬効評価の研究者が気づきました。さらに、リード化合物が筋肉系に作用するのに対し、昆虫の神経系GABA受容体に作用することを、作用性研究者が突き止めました。

こうして他社化合物からの差別化には成功したものの、GABA受容体に作用する農薬としてはフェニルピラゾール系殺虫剤 があり、その薬剤抵抗性を獲得した虫の存在も知られていました。抵抗性を獲得した虫にも効果がある、新たな特長を有する殺虫剤でないと、開発を中止しなければなりません。

研究の進展とともに、この化合物群が、フェニルピラゾール系殺虫剤抵抗性の害虫に対しても効果を示すことが生物評価研究者によって明らかにされました。さらに、同じGABA受容体であっても新規な作用メカニズムを持つ化合物である可能性も示唆されました。この結果に、方向性に間違いはないと研究チームは勇気づけられ、さらに創薬研究に邁進する強い動機づけとなりました。

このように新たな作用性を持つ化合物群が発見できた後は、これを実用に耐えうる「製品」として開発する道のりが始まります。「新たな化合物を創製しては、処理し、評価を行う」。新薬の創製は、基本的にこの繰り返しです。それはとても地道で、気の遠くなるような作業です。

この作業を繰り返し、7,000以上もの分子について検証を重ねた結果、ようやく最も優れた化合物としてブロフラニリドが選ばれ、「テネベナール」と名付けられました。

商業生産への道のり

ようやくテネベナールの創製に成功した研究チームですが、プロジェクトはそれで終わりではありません。

たとえば市場で販売するためには工場での大量生産が求められ、実験室のフラスコでのグラムスケールでの合成から、キログラムスケールの試作を経て、商業生産設備にてトンスケールでの製造が必要になります。もちろん厳重な品質検査も通過しなければなりません。

研究チームはテネベナールを効率良く製造するための反応ルートの検討、反応条件の検討、品質制御方法を検討し、製造レシピ案を作り上げました。ところが、ここでひとつ、大きな問題が生じます。製造レシピ案を検証するため、中間体をキログラムスケールで生産した結果、製造した中間体に不純物が多く含まれることが判明したのです。このままでは、この後に続く安全性試験の遅れにつながり、ひいては開発計画に大きな支障が出ることが想定されました。

大きな壁が研究チームの前に立ちはだかりましたが、当社には約100年もかけて蓄積してきた農薬開発に関する知見がありました。これまで培ってきた経験とノウハウを結集し、不純物の構造を特定することに成功。そしてその不純物を除去する精製法を、約3ヶ月間の短期間で確立しました。結果、無事にテネベナールの試作品は品質検査を通過することができました。

このようにして確立した「製造レシピ」をもとに、製造委託先や工場にてトンスケールでの製造を行います。研究開発チームが製造先での生産開始時に製造現場へ出向き、技術指導や運転フォローを行うことで、良好な品質のテネベナールを大量に商業生産できるようになりました。

こうして様々な試行錯誤と挑戦を重ねた結果、ついに2019年、テネベナールを世に出すことに成功したのです。

分野や国境を越えて人類に貢献する

数多くのハードルを乗り越えて開発されたテネベナールは、農業分野において大きな貢献が期待されています。さらに、保健・衛生・建築など農業以外の分野に対しても、人々の生活に役に立つ可能性を秘めています。

たとえばゴキブリ・トコジラミなどの衛生害虫の駆除に、テネベナールは有効です。殺虫剤抵抗性を示すゴキブリ・トコジラミが確認されていますが、テネベナールの新規作用性は、既存殺虫剤への抵抗性を示すゴキブリ・トコジラミにも効き目があります。

また、テネベナールは蚊やハエの駆除にも使えます。蚊の中にはマラリアや黄熱病、デング熱などを媒介するものもあります。ハエの中にはアフリカ睡眠病や カラアザール(内臓リーシュマニア症)などを媒介するものがいます。これらの害虫は殺虫剤に抵抗性を持ちやすい上に、いずれも人の命に関わる病気をもたらします。救い切れていない人命をテネベナールが守れる日が、もうすぐ訪れようとしています。

さらにテネベナールは、住宅用建材を害するシロアリの駆除にも有効です。残効性や耐雨性が高いため、木材の保存や運搬、建築物の保護に貢献します。

このような優れた作用性が認められ、テネベナールは農薬をはじめとした様々な目的で、世界各国で登録がされています。世界中のあらゆる場所、あらゆる分野で人類に貢献する殺虫剤、それがテネベナールなのです。

用語解説
  • GABA受容体(ギャバじゅようたい):GABAとはγ(ガンマ)-アミノ酪酸(Gamma-AminoButyric Acid)のことで、神経伝達物質。GABA受容体は、この神経伝達物質に応答して神経細胞内のイオン濃度を調整するタンパク質。
  • 神経系阻害剤:神経を通じた信号の伝達を阻害する殺虫剤。
  • group30:IRACによる農業用殺虫剤の30番目の国際的分類。
  • リード化合物:新しい薬品を作る上での出発点となる化合物。リード化合物を用い実用化に至るまでには、10万分の1、場合によっては100万分の1のテストを乗りこえて薬品が完成する。
  • 置換基:有機化合物中の水素原子と置き換えられた原子または原子団。